誰のために生きる?

あまりにも人に尽くしてきてる気がする私。それが自分にかえってきてるとも思ってます。

親ガチャは昔からあった

私は市の社会教育課の人権学習会に参加している。人権学習の項目にハンセン病患者への差別という項目がある。ハンセン病は非常に感染力が弱いにかかわらず手足に変形をともなうような見かけから隔離政策を第一の感染対策とされた。これは後に必要ないことが分かったが、なぜそんなに感染力が弱いのにはびこったのか。それはまさしく貧しさ以外にはない。

貧困による栄養不良から抵抗力が落ちているためそんなに弱い感染力でもかかってしまったということだ。親ガチャで裕福な家に生まれると食べれるので抵抗力が失われることがないのだから感染しないのだ。

国の隔離政策によって若い時に隔離され完治しているのにもかかわらず現在も各地の国立療養所に住んでいる人がたくさんいる。昭和初期生まれの高齢者ばかりだ。なぜ帰らないのか。帰れない、帰るところがないのだ。その方たちは療養所に入った瞬間に故郷を失ってしまったのだ。

療養所から出て社会復帰できた人も差別をうけている現状もある。優生保護法によって強制的に堕胎されたり出産してもその場で生まれたばかりの子を殺害するということも頻繁に療養所内で行われていたという。

だから今も療養所に住んでいる方はだれにも知られずにここで消えるように亡くなりたいという方が多いという。悲しすぎる思いだ。療養所には焼き場も納骨堂もあり今そこに住む方はこの納骨堂に眠るということだ。誰がこのような状況を作ったのか?私たち全員の心の中にある差別意識の他ならない。

人間は自分と違うものを排除する本能を持っているという。差別の根源はそこからなので本能の一部の表出なのか。

隔離政策を推進した医師とその医師(男性)に感銘し療養所の医療に貢献したとされる医師(女性)の伝記のようなものまである。二人は善意で行ったのだろう。しかし隔離政策が患者のアイデンティティを奪うことになろうとはかけらも気が付かないでいたのだろう。

その昔、医師になれるというのはもちろん親ガチャ当たりしかいない。特に女性で医師になるにはよほどの環境と本人の努力も男性以上に必要だっただろう。だけど基本、親ガチャ当たりではないといくら努力しても医師にはなれなかったのではないだろうか。

超高級老人ホームの患者さんで今年100歳になる男性がいる。認知もさほどひどくなく総義歯でもよくおしゃべりするお元気な方だ。その方は京都大学時代に2年も結核で入院したのにこんなに長生きしたと言っている。

それを聞くとまず京都大学に入れる経済力のある親のもとに生まれたこと結核という当時は不治の病といわれる病気にも関わらず時間はかかったとはいえ十分な医療をうけれたということがわかる。親ガチャ当たりの方なんだな~。親ガチャは本当に生死にかかわる問題でもある。