誰のために生きる?

あまりにも人に尽くしてきてる気がする私。それが自分にかえってきてるとも思ってます。

看取りと延命処置

いつかくるこの日が昨年の9月18日だった。

 

療養型病院に見学に行き、受け入れ可能を確認。療養型はやはり寝たきりの方ばかりで一人だけ手押し車で歩いてた女性がいましたがとても静かで看護師さんが走り回る様子もなくこういうところなんだな。

それでも苦痛をとりつつ余命を全うする一つの場所として選ばざるおえない。

症状が緩和したら移る手はずでしたが悪化する一方になってきていたので週1回10分程度の面会は許可と言われました。その日が近くなっているということ。

それでも最初は話できたし歯磨きしてあげたりできました。2か月たったけど退院の目途がたたず面会許可がでたわけです。

コロナ禍で他の老人ホームなどでもモニターごしに面会がメインになってしまいモニター越しではわからない本当の姿は家族にはわからないと感じていました。

直接、会えば先週と今週では全く違う悪化していることがわかります。いつしか夏になっていました。老人ホームはお盆休み中に解約、荷物出しをしていました。

延命処置について。点滴するのも一つの延命処置でもあるそうで、そうでない場合もあると。心臓マッサージや胃ろうは延命処置とはよく言われますが病気によって延命処置の基準も変わってくるわけです。

9月になり、いよいよという時にやっと点滴を外しました。酸素だけで苦しそうに呼吸する叔母。もう会話もできません。ひたすら苦しそうに眠っている。点滴を外すのがそれでも遅かったようで手足の指は2倍くらいにむくんでいました。

急性期病院じゃなかったらひどいむくみなどなかったのだろうか。私が叔母の最後を決めたようなものです。ほとんどの人が自分の最後は自分できめられないのだ。

自宅で看取りをしてくれる家族がいるというのはすごいことだと思いました。一人で在宅死を選ぶということも最近はできるようですが、ガンは比較的在宅を選びやすいとか。叔母はとにかく苦しがったので点滴が必要だったりするので在宅でみるのはつらい病気だと思いました。

叔母はその病院で息を引き取りました。病院に対しては些細な不満もありましたがそれしか選べなかった私。これでよかったのかと何度も思い返します。