誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

他人に命を預ける

今日は姉の国保の手続きに実家のある役所に行ってきた。 姉が入院してもう1年経ってしまった。兄は役所関係に行くのがしんどく全部私がしている。兄は役所の近くに住んでいるんだけど行く気力がないので仕方ない。その代わり母や姉の施設と病院には行ってくれている。役所の手続きはまさにマルチタスクの能力が必要でこれを申請するにはこれとこれを用意してこの順にまわるということまで考えなければならない。おそらくそれが大変なようだ。

しかし、母は「あんたには迷惑かけない」と言い放っていたがこんなに細々したことで動かなければならないことがわかっていたのだろうか。こんな手続きをしてくれる娘がいなかったらどうなってるんだろうと思う。私がもし存在していなければ兄は役所に行けないのだからどうなるんだろう。

まさに他人に命を預けている状態ではないか。人は皆、最終的に誰かに決定権を委ねることになるんだとつくづく実感する。

 

結婚してから耳と目を患い障害者になってしまった友人がいる。彼女は子どものときから腎臓が悪く、とうとう透析することになってしまった。

でも本人はどうして透析になったのか根拠を理解していなかったのだ。医師は夫に説明をして夫は本人に十分に説明せずに処置が行われたようだ。頼れる身内は夫しかいない彼女。しかし夫は彼女に説明する義務を怠っているように感じる。夫婦のことだから本人たちにしかわからないのだけど何もかも彼女自身が十分理解していないのがLINEでの会話で感じる。

コロナワクチンの接種にしても本人は打ちたい意思があるのに「副反応あるで」(←常識になっている)とだけ言う主治医。透析だったら打ってはいけないならその根拠を説明すべき。それも伝えず当たり前の副反応の可能性だけ言ってどうするんだ。そして予約を取ろうとしない夫。目と耳が不自由なんだから家族に予約してもらい連れて行ってもらうしかないのだ。なのに妻のことを後回し。自分の子どもを産んでくれた大切な人ではないのか。彼女の夫には怒りしかない。障害を持つということは高齢になるのと同じで誰かの助けが必要になってしまうことでもある。それはまさしく命を預けてしまうことにもなってしまっているのではないかと感じた。自分の命を自分の意志で守ることが難しくなるなんて。障害者も自分の意思で自分の命を守れなければ人権は保障されていない。

娘は私亡きあと自分の人権を命を守れるのだろうか。