誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

成功体験

自分の人生ではじめて頑張ったことをほめられた認められたと感じたのはいつだろうか。私は夏休みの水泳教室に入ってまったく泳げなかったのが夏の終わりのテストでは25メートルまで泳げたときかな?たいそうほめられたし、はじめての成功体験(努力した結果がでた)かと思う。

 

帰省中の息子と話ししていたら、川で魚のつかみ取りをして食べたいという。息子は煮たり焼いたりした魚が嫌い。寿司なら食べるのに。でも串に刺した魚を焼いたもの(囲炉裏やキャンプとかでやるやつ)は食べたがる。それは保育園のお泊り保育の時にヤマメのつかみ取りをして焼いた魚がおいしかったら。はじめて魚を素手でつかみ取った成功体験に伴っているから、その魚はおいしいし普段の食卓に上がる魚とは別物なのだ。

 

 

娘の場合どうだろうと考えた。絵画教室に通っていた小学生の時に子どもの絵画展で推選というその絵画展では上から2~3番目の賞を2回もらって表彰式もあったのだが受け取るだけでも難しく父にかかえられてかろうじて受け取れた。家族に褒められた程度ではなく色々な作品の中から選ばれたわけだから成功体験だと思うのだけど娘には受賞はなんの意味もなかったのか。

 

積極的に何かに取り組むわけでなく楽しむわけでもなく、どうしても自己肯定感を育てにくかった。娘にもっと成功体験を積ませてあげなければならなかったんだな。と思う。幼い時の成功体験は本当に貴重だと感じた。子どもがちいさいうちに色々な体験をして成功体験を経験させてあげると自己肯定があがるのではないかと思う。