誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

場面緘黙と聴覚過敏と発達障害

娘はあいさつや返事が苦手だ。というか会話全般が苦手だけど。病院でどんな痛み?とか抽象的なことをきかれてもズキズキとかそういう表現もできない。小学生の時はあまりにあいさつ返事ができないので仕方なく私がすることが多くこれは良くないと思いながらも相手に失礼なのでせざるを得なかった。

例えば、横断歩道の向かい側で同級生が娘をみつけてバイバイと手を振ってくれる。大きな声をだして「バイバイ~」と言ってくれるのだが娘は手を振ることさえできない。(したくない?しない?できない?)私は娘の手を握り上に伸ばして振ろうとする。そうすると娘は全力で手をおろしてしまう。面と向かってさようならと言えた場面は私は一度も見たことがない。母が言ってくれるから言わなくていいと思っているんじゃないかという説も先生から出たがほぼ言わないようだ。

この件に関して私の悩みはずっと深い。しない、できない、したくない いずれかというのは大きな差があるのだがそれをはっきりといまだにこたえてはくれないのだ。

娘はあいさつ返事ができないので支援学校に断られたようなものである。支援学校ではあいさつ返事はとても重要。支援学校でお返事できないのは就労できないとされている。(当然のようだが返事もできない高学歴の人っていっぱいいるよね。学歴があれば返事はできなくてもいいようだ会社というところは。)

ただ、B型作業所で部屋に出入りするときは挨拶するという決まりには大きな声ではないが声が出ていたようだ。もちろんその時私がいたら絶対に声もお辞儀もない。私のせい?


 そんな娘でも家で私や父親にはべらべらしゃべる。それって場面緘黙?しかし調べれば調べるほど場面緘黙ではない気がする。どうしても典型例とは一致しないのだ。

 軽度知的、発達障害は確定であるが場面緘黙の他に聴覚障害も疑ったがそれっぽいけどちょっと違うのだ。

どうもその場の環境によって緘黙だったり聴覚過敏に似たような困難を示すのだがずっとではない。自分の気に入らないものを受け付けない発達障害の特性がそういう態度に出るのかもしれない。小さい子どもの騒ぐ声が嫌いで放課後デイサービスの送迎で小さい子と同じ車に乗ったときは耳をふさいでいるのだという。かといって周波数の高い声がダメとか音のボリュームによって変わるというわけでもないようだ。なんせ法則が一定ではない。この子の声は平気だけどこの子の声は嫌?好き嫌いの疑いもはれない。

イヤーマフを買っては見たけどあまり関係なかったし最近は私がいなければ病院での受け答えもできないことはないようだ。しゃべらなくてもなんとか伝わっているようだ。

私がいなくなったら病院に行けないんじゃないかと心配だったがいなければ答えるので最近は2回目以降はできるだけついていかないようにしている。

私が通院についていけない高齢になったときヘルパー利用しなければならなかったら今からなれるよう親しいヘルパーさんを作らないといけないか。と思ったりもしたがその人が娘のヘルパーさんを一生やってくれるわけでもなしどうにもきっかけがつかめず移動支援は使えないでいる。若いうちはお友達的な感覚で外に出かけるためにヘルパーさんを利用する人もいるらしいが行きたいところは映画館くらいで今はネットで席をとって自分で行けるようになってしまったのでまったく需要がない。

娘のようにエセ聴覚過敏、場面緘黙の人っているのかな?