誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

トラウマを踏まえて成育歴は続く

今までの私の成育歴を長く書いてしまったがキーワードとして貧乏、きょうだい児、そして体の傷、病気もある。

学生時代に何もなかったわけではない。小学校6年生の時に父の事業が破綻し父は1週間ほど行方不明になった。そして真っ黒になってタクシーに乗ってひょっこり帰ってきた。貧乏トラウマ更新である。笑い話ではないが当時の担任の先生にもそのことは知らせていたのでその先生のクラスの児童で親が行方不明になったというのは私だけだったんだろう。その後の同窓会でお父さんはどうしてる?あの後はどうやったん?と父が亡くなった今でも聞かれる。あの後私もよくわからないがなんとか生活できてきた。

私はというと中2後半~中3前半の9か月ほどの間、甲状腺亢進症になり入院した。

中学生なので小児病棟でなぜか同じ病気の子がそのとき次々入ってきて一つ下のあっちゃんととても仲良くなり楽しい入院生活を過ごした。なぜ楽しいかと言われるが長期入院の子は病弱児として院内学級で勉強できる。あっちゃんと私が先生と3人で勉強する。無料家庭教師状態である。先生も楽しい方ばかりで今でもその中の先生とは年賀状だけだが生存確認できている。当時、新婚ホヤホヤの理科の先生で面白い先生だったので楽しかった。私たち甲状腺の病気は腎臓病と違って運動や食事に制限がなかったのでほぼ元気。なんで入院してるのかという話だったが入院して楽しいなんて私くらいじゃないかと‥

そもそも甲状腺疾患の原因はわかっていないのだがホルモンの病気なのでストレスが原因かもしれない。当時は学校でいじめられてたのでそこからも脱出できて一石二鳥であった。この病気になったことでリフレッシュになり私の心も救われたのかもしれない。

思春期のこの頃には体の傷があるから結婚はできないだろうから一生できる資格のある仕事に就こうと漠然と考えていたがこの入院でやや勉強は遅れてしまった。

姉はその頃はなんとか入った専修学校でもいじめられ、ついていけないので中退し入退院を繰り返していたんだろう。兄は関西では名の知れた大学(理系)は出たものの人見知りが効して売り手市場の就職戦線に負け続け運よく受かった地方公務員として職を得ていた。その頃はまだ仕事も問題なさそうだった。

そのころ徐々に姉の本当の姿が理解できるようになったんだろう。私はこの頃の姉と自分の娘をどうしても重ねてしまう。