誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

貧乏の呪い

 私は決して忘れることのできない母の言葉がある。小学2~3年くらいの時ではっきりはしないのだが「ええか絶対保証人になったらあかんで」と「あんたを産むんじゃなかった」の二つである。

 小学校低学年で保証人制度を知っているほうが驚きであるし「産むんじゃなかったは」決して言ってはいけない言葉として有名?である。

 当時、父が連帯保証人になって負債を負わされたらしい。そんなこと知らないけどしみじみ言われてうちって本当にお金ないんだなと思い知らされた。

 産むんじゃ~は高校生のとき色々苦悩している私を見てかわいそうすぎて出た言葉である。それはわかっているけどその表現はダメでしょう。

 そもそも私は母の考え方に疑問を持っていた。父は何にも考えていないように見えた。被差別部落について聞きもしないのに話して「(私は部落じゃなかったから)不幸だけどあの人たちよりましだ。」と思いたい様子で語ってくる。これもそういうことを学ぶ前のことである。

 知識はあるが偏った考え方も強かった。父は毎朝早くでて帰宅も遅いが帰ってきたら寝る直前まで酒を飲み続ける人だった。そして子どものころの自慢を話す。何回も何回も同じことを。

 よく考えたら父の酒代は半端なかった。そしてうちはテレビもエアコンもあったし本当に貧乏だったのか?身にそぐわない贅沢をして借金してたのか?今もよくわからないんだけど。

 夫と子どものころの話をしたら夫の家は自営業がそれなりにうまくいっていて全然貧乏じゃなかったはずなのにエアコンなんて見たことなかったしテレビも白黒だった。我が家には私が幼稚園児の時にカラーテレビが来た。夫は二つ上だから同じ時に一般的になったとしたら小学生の間にはカラーになっているはずだ。同じころにエアコンもついた。(当時は冷房だけなのでクーラーと言われたが)ということはやっぱり贅沢だったの?なのに借金、保証人?

 そこまで貧乏じゃない生活だけど母はうちは貧乏だという呪いの言葉を私に投げ続けていたのです。今思えば贅沢してたから貧乏だったんじゃ?

 脳科学の観点からみると風呂上りに裸で走り回っている子に早く服を着せたいという場面で「そんなんしてたら風邪ひくで」というと子どもは「風邪ひくで」の呪いにかかってしまい本当に風邪をひくらしい。こういう時はシンプルに「服を着ようね」と言えばいい。だから私は貧乏の呪いがかかったんだと最近認識した。「うちは貧乏だ」の呪いはお金に対する警戒心に通じるのではないかと考えている。