誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

私について(小学校〜

 地元の小学校に入るころには兄は高校生、姉は中学生である。でも私の記憶はこの頃も朧げで何故か男の子とケンカしていた事と宿題に毎日漢字書き取を毎日出して1週間かかさずだしたら小梅キャンディをくれる年配の女性の先生くらいしかない。イヤだけど行かなくてはならないところという認識で学校に行っていたのか。それも不明。楽しいと思った記憶はほぼない。

 仲の良かった友達が2人。お隣の一つ上の子と同級生の子。お隣の子はバツイチママが自分の姉の所に預け水商売。当時はシングルマザーなんてそんな生易しいものじゃなかったんだろう。ほとんど彼女のお母さんに会うことはなかった。年上の家族の中で暮らすやや?他人の彼女はちょっと大人びた子だった。今思えばそうなるのは無理もない。

 もう1人の子は大理石屋さん3人姉妹の末っ子で私から見たら初めて会うお金持ち。5メートルはある?直線の廊下ではしゃげる家。もちろん玄関から大理石貼り。応接室にはピアノがあり宝塚ファンのお母さんお姉さんの趣味でたくさんの宝塚のレコード、初めてみる華やかな衣装を着たタカラジェンヌのジャケット写真。もちろんお金持ちの象徴であったピアノを習っている。今は思うと結構、対照的な友人である。

 

うちはというと私が4年生まで長屋の借家に住み狭いので兄は近く飲むアパートを借りていた。風呂なし共同トイレの貧乏学生が同棲するのにぴったり⁈な風情のあるあの歌にでてきそうなアパートであった。

 ところが私になんの前触れもなく引っ越しを告げられ隣の市へ行くことになる。父の仕事場が近いらしくそこを選んだらしい。その時はすでに兄は大学生だった。しかも姉はその頃には統合失調症になっていた。

 はっきりした記憶はないが姉は中学生のときいじめられ、だんだん精神に異常が出始めていた。今になってわかることは姉は実は軽度知的障害があったが母が認めなかったか指摘されなかったかはわからないが無理をしていたようだ。当然、通常学級ではついていけず勉強も運動もままならない。絶好のいじめのターゲットだったわけである。

 でも私にとってはそれが姉なので何も疑問に思わなかった。10歳の末っ子にそのような事情も伝えられることもなかった。反対に兄は特に塾行くまでもなく成績優秀で小学校、中学校はいわゆるスターだった。生徒会長をやったりしていたようだか本人は積極的なわけではなく成績が良かったから周囲が持ち上げていたらしくそれほどリーダーシップがあるわけではなさそうだった。兄は高校から下り坂に転じ晩年は兄も精神を病んでしまった。断言はできないが兄はアスペルガー傾向があると感じている。とりたてでできることもできないこともなく中の中で学生生活を送っていた私が自然と家の中では中心とならざるおえなかったのはそのことに起因しているのではないかと思っている。

 

最近、障害のある子ども兄弟をきょうだい児と呼ばれることが知られるようになったが。実は私ってきょうだい児なんだとその呼び名が知ってから気がつく。そして今は障害児の母でもある。

 思えば、子どものころからうちは貧乏と母が言い続けていたし私一人が子どもで長女で末っ子でしかも姉は病気だからしっかりしなきゃということをじわじわ浸透させられていたというか。これってトラウマ?