誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

中2.3は特別支援学級へ

 別室登校のおかげで少しは学校にいけるようになったので中2からは特別支援学級に在籍することにした。もう教室に入るのは不可能だったし学習もやはり遅れは取り戻せない。自分の好きなことは勉強でもやるが理科社会になると小学生のときから離れてしまいまったく興味がないので居場所のない教室にいくことはできなかった。

特別支援学級の担任は定年再雇用の男性教諭。柔らかい雰囲気で娘が嫌がらなかった。別室登校の担当の若いけどクセがある面白い理科の教諭も大丈夫だった。ただ自分からしゃべっていくことはまあないけど。

通常学級担任の先生は3年間受け持ってもらい別室登校友達も同じクラス。彼女はずっと別室登校だったけど。一応、その子もいることもあって修学旅行も行けた。

 同級生と行動を共にすることはなく。担任の先生と別室友達と3人でほとんど過ごしていたようだし、寒かったから部屋にいたとかそんなに活動してはなさそうだったけど。修学旅行はスキーだったがスキー板をはくことはなく雪だるま作ったぐらいみたい。でもそれなりに楽しい思いだだったらしくたまにその時の話をすることがある。極端に学校の思い出が少ないせいもあるだろうけど。

 

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ハナミズキ

特別支援学級も週2日は休んで朝は誰にも会わない9時ごろ行って誰にも会わないよう5時間目迄には学校をでる毎日。勉強してません。ただ行くことだけだった。

 中学生の3年間は週3登校できたらまあまあ。超マイペースで通い支援学級にもなれていたし通常の担任も支援の担任も特に本人が拒絶することなく平穏だった。どうも娘は関わってくれる大人はちゃんとわかっているので信頼はしているらしい。でもそれが言葉や反応で表現しないので関わってる方からするとこれでいいのかと不安になる。

 そしてこんなもんなんだこれでいいんだと日々関わるうちに積み重なった経験値で対応するという相手に努力を求める関わりしかできない。それは多くの場合、そっちからこいよ~って言われるようなことだ。何かしてほしかったら言えばすぐに伝わるし自分の気持ちを言えば、なるほどねこうしたらいいんだよねってすぐにわかる。そういうことをしないで察してくださいで生きている。そりゃ難しいよ。