誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

適応指導教室へ その理由とは

本格的に不登校になったのは6年生のゴールデンウイーク明け。休み明けは学校行きたくない。だけのレベルではなくなった。これも予想通り。なんで悪い予想は当たるのかと思ったがそれだけ娘のことを理解しているということにしよう。

またじっとしていられない私。何かないかというのは5年生になるころには目星をつけていた。適応指導教室だ。学校の先生に適応指導教室の申し込みや面談をしてもらい完全不登校期間はたった2か月で7月には適応指導教室に通い始めた。市内に一つしかなく自宅からは遠かったがバス1本で行けるので何度か一緒に行けば一人で通うことができるようになった。

娘は勉強はしたいのか、しなければならないと思っているのかはわからなかったけど勉強自体は嫌がらないのでその必要性を感じていた。家で勉強はみれるとはいえ私と蜜にかかわるのは避けたかった。親だけが子の教育を担うのはデメリットがあると思ったからだ。今は地域みんなで子育てしようとか言える時代だが昔は家のことは家で自分の子どものことは家庭の責任というのが主体だったと思う。何より私は自分の精神状態を平常に保つことを第一に考えていた。

子どもが不登校になるだけで親は悩みうつ状態になったりすることはおかしくない。自分が病んでしまうと家族全体が病んでしまうと考えた。それ以外に私はあまり精神的には病まないタイプみたいだったけど体調が悪くなる方なのでそちらも厄介だ。

娘と離れる時間が欲しい。だからパートでも仕事は続けてきた。フルタイムやパートでも毎日というのは避けていたがこれは自分が子どもから離れる時間を作ることで家庭と違う時間を持ち社会との関わりを持つこととして必要だと思っていたから。一人で家で過ごしている娘のことを考えずに過ごす時間は重要だ。幸い必ずこれ以上稼ぎたいという状態ではなかったのでその時々に自分の都合に適した仕事をしてきた。生活に窮しているから働くという方から見たらなんてこと言うんだと思われるかもしれないが働く目的が違っても私の仕事に対価を払ってくれるところがあるなら私の時間を持ちたいのだ。それは私のやりがいや喜びになるから。

私の勝手な理由と思われるかもしれない。もっと休ませてあげたらいいんじゃないかと思われるかもしれない。そんなことはわかっていたが基本自分一番なのだ。育児、家事、仕事と女性は社会に求められる負担が多すぎると思う。世のお母さんに言いたい。まず自分を大事にしよう!

もちろん、娘が勉強する意欲があるそして居場所を求めているのが一番の理由。