誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

不登校からの引きこもり問題

 なんとか自然学校が終わって楽しそうだったのは良かったがじわじわと不登校が迫ってきていた。やはりひとりぼっちの昼休みの不安は的中。娘はかまってほしいけどかまってもらいかたがわからないし、かまってもらっても応え方がわからないのだ。

 そりゃ~学校行きたくなくなってくるよね。かまってもらいたくないのならいいのだけど独りぼっちはさみしかったんだ。たぶんそうだと思ってました。予想してました。

 最初は無理やり連れて行ったりしたけどムダだろうなと心の中では思っていた。けど娘が家族以外の誰にも会わない日が続くのがどうしょうもなく嫌だった。ただでさえコミュニケーションできないのにだれにも会わなければなんのトレーニングにもならない。家は居心地がいいだろうけど私は娘より先に死ぬんだから娘に私しかいないという状態だけは避けたいからだ。

 学校いかないので勉強が心配とはちっとも思わなかった。どうせ4年生でも自習状態だったから家でドリルや通信教育をやればいいのだ。私は中学くらいまで勉強をみてやれると思っていたから。ホームスクーリングと言われるけどこういう制度もコロナ禍でできるんじゃない?って思った方もいるだろう。その頃にはフリースクールも検討の一つになっていた。フリースクールを登校日数とみなしてもらったりその頃は今ほど相互通信で授業を受けるという体制はできていなかったけどWEB授業というのは通信制高校などでは始まっていたのではないかと思う。そもそも勉強するためには登校しないといけないと思わせるのは子どもは登校すべき論が底辺にあるわけでそれは学校生活が苦手な子どもの呪縛になっている。

 小学生のときそこまで考える親はいないのかな?と思うことも多々ある。引きこもりの8050問題と言われているが親が引きこもりの子どもを80歳になっても養っていて子どもがすでに50歳というケース。私はそこまで考えていた。