誰のために生きる?発達障害の娘と私

なんでも引き受けてしまう私。そろそろ限界かな。

4年生支援学級へ迷走が本格的に

 そろそろ友達と学習というこの2点を問題を本格的に検討する必要があった。4年生になる前にベテラン担任と相談を重ねた。5年生は自然学校というハードルがあるのだ。今は短くなったけど当時は5泊6日の山村体験。これは友達がいないとつらい。3年生時点で女子の中に入れていなかった娘はその心配があった。次の4年生でグループが完成したときにどこにも娘には居場所ないのだ。

 4年生から学習の難易度が増してくるがついていけるか。4年生の間は学習は大きな問題ではなかった。問題は休み時間などの過ごし方であった。

 学校の中でぼっちというのはかなり厳しい立場に置かれる。それならば濃密に対応してくれるぼっちからの逃げ場所になる支援学級がいいのではないかと考えたのである。3年生の終わりに再度相談を受けてどっちでもいいけど支援学級がいいかな?という教育相談の回答。コミュニケーションを考えると通常学級はしんどいでしょうという感じ。当時のIQはやや低く軽度知的の境界線だったので学習において個別に支援は必要かもしれないということで4年生から支援学級に在籍することに決定。

 今でもこの判断が良かったのかどだったのかといつも思う。しかし後悔してもしかたないしそれが娘の経験値として積み重なったことも事実。学習は手厚く支援でみますということだったが実際のところはほぼ支援学級で過ごし体育、音楽などは通常という形になっていた。学習時間は減り授業時間でも遊んだり先生の名前を覚えましょうとか?娘は先生の名前はわかってるけど?という謎の授業参観だったりして理科、社会の学習がほぼなくなったのだ。たまーに実験の時に呼んでもらえるというお客さん状態。障害あったら理科社会やらんでいいんか?という疑問もあり支援学級の学習内容についてはと~っても不満を持つことになる。

 そして支援学級の当時の構成も娘には合わなかった。メンバーしだいで先生の数も変わるのだが知的と情緒の2クラスとなった。知的ギリギリだから娘は情緒という部類になるんだけどこれが自閉だけど知的も中~重度の男の子と二人になった。この子は自閉かもしれないが知的もあるので4年生だけど1年生の学習が完璧にできていない。そうなると先生一人で二人を見ていたら当然もう一人の子に先生は集中、4年生の算数国語はオールプリント学習になってしまった。独自の教材を先生が手作りしていますとなると難易度の低めのプリント学習。しかも一人で黙々とやるだけということになってしまったのだ。家で一人でドリルやってるのと変わらん。家でドリルやるなら私がみてあげれるが先生は〇つけるだけである。懇談で〇だらけの大量のプリントを見せられてよく勉強してますよアピールされても‥そりゃ簡単やしとかツッコミたくなるところだがぐっと抑える。もう支援学級は割り切ろう。

 

 支援学級の主任の先生が超ベテランで昔ながらの特別支援学校は知的障害の子のみで発達障害の子どもの特性は理解してるかな?という先生だったからの教育方針だったから知的はギリギリの娘の状態に適応してくれてなかった。またもや不満な私は次の方策を進める。この頃が自分迷走してない?って自覚したころ。

通常学級の担任は3年に引き続きベテラン先生が担当してくれたのでそちらに相談。4年生は学習がものたりなくて近所の塾に通う。娘は通常の4年生の学習はできていた。その塾はあるチェーン店の塾で入塾して一年で生徒数が少なすぎるので経営困難とされ閉店。ちゃんと通えてたのにな。人数少ないからこそあっていた。3~4人だったかな

 この子、いずれ不登校になりそうだな~と小学校入る頃には私は予想していたがこれがこの先順調に?的中していくこととなる。