誰のために生きる?

あまりにも人に尽くしてきてる気がする私。それが自分にかえってきてるとも思ってます。

歌いながらケア

今週のお題「秋の歌」

私の仕事は訪問歯科診療の歯科衛生士。ぶっちゃけてしまうと、じいちゃん、ばあちゃんの歯磨きをしている。施設に行っているので話をしながら「涼しくなったね」などわかる人は会話しながらケアしている。しかし認知が進むと会話が成立しなくなってくる。

前は難なくケアできてた人が突然のように強い拒否を示すこともある。一か月、一週間という短いスパンで認知力がどんどん低下することが多々ある。

一人の患者さんが転倒のため念のため2週間ほど入院した。骨折がなかったのだがそのわりに少し長いな。と思っていたら急激な認知力の低下がみられた。

足は丈夫なのでケア途中でもすぐ立ち上がろうとする。同僚の衛生士が歌を歌うと気がまぎれるから歌いながらケアしたと聞いてた。翌週は私が担当だった。

ところが歌?全部思い出せる歌が特にない。秋の歌がいいなと思ったが「紅葉」かな?「虫の声」のほうがしっかり覚えてたけどなんかな合わない気がする。

ところで今の音楽の教科書って私が習った歌なんて全然載ってなかったりするらしい。21になる娘も童謡はあまり知らない。合唱するのでも「負けないで」とか合奏ならエバンゲリオンとか?季節感のある歌が秋は少ないのかな。存在感がちょっと薄い季節?

きのう何食べた?観ました。赤は誰の色

今週のお題「赤いもの」

お題の「赤いものは好きですか?」と聞かれると。ランドセルは女子は赤、男子は黒しかない時代。私が子どもの頃は女子の色でしたよ。なのにゴレンジャーのリーダーの赤レンジャーは男性なんですよね。ゴレンジャー世代ですが(笑)すんなり受け入れましたね。唯一の女性はピンクだったんですね。女子はピンクの世代だったのかな?

ということで女子の色でもなく別世界の色でした。好きというかあこがれ?なぜか運動会では紅白対戦なのに私はずっと白組にしかならずいつも負けるほうでなんだかな~と。紅葉もきれいだな~とは思うけど自分にはないあこがれの色なのかも。

3日にきのう何食べた?を観にいきました。ゲイカップルの話なのはご存じだと思います。

トランスジェンダーの方って幼稚園児くらいにはもう性の違和感を認識してらっしゃるそうで私の世代だったら幼稚園でピンクと水色のスモックという子ども用の割烹着みたいなのを着せられてたんだけど(今もありますか?)その方は生まれた体の性が男性だったので親は当然のように水色のスモックを着せ、入学のときは黒いランドセルを選ばれてしまった。という話を聞きました。

映画で内野さんは自分のことを乙女と言うので心は女性なんですね。でも決して女装はしないんですよ。そして西島さんとのキスシーンは絶対ない(笑)内容は周囲とマイノリティーである自分たちとのかかわり方や登場人物一人一人が持つ不安が描かれていた感じですね。自分を理解してくれる人を失うのはマイノリティーの人にとっては体が半分なくなるようなものなのかもしれません。

 

投票率は上がったのかな?

テレビは選挙の番組ばかりで退屈だ。関心ないわけじゃないけど全局が同じ事しなくてもいいのにといつも思う。私だけじゃないよね。

ちゃんと投票はしました。娘はやっぱり行かず。近くのショッピングモールの期日前投票が大混雑だった。前より関心が高いのかな?今日投票に行った小学校はガラガラだ。

当日もショッピングモールで投票できたらもっと若い人やファミリー層が投票するのではないのかな?

今日はそこにある映画館で『老後のお金がありません』を観てきた。いつも娘と行くのだけど今回は宣言解除後のうえ小さいホールだったせいかなんと満席。いつも1つ空けてすわれたのに当然、前後左右にいる。広々と映画を観ていたので窮屈だ。

この映画はさすがに観客の年齢層がかなり高め。私より👆がほとんど娘が最年少じゃないかというくらい。草笛光子さんの元気さはすごい。最後は丸く収めるのだけど新しい老後の暮らしの提案でもあるのかな?と思った。一つの考え方としてはいいと思う。必ずしもすべての人がこのようにできるわけではない。

経済的にもっと苦しい人やマイノリティーで社会から隔絶されがちな人には難しいだろう。

来週は『きのう何食べた?』を観に行く予定。内野さんがとっても乙女でかわいいのでドラマも好きだった。映画でマイノリティーをどう描くのかも興味がある。

映画館となりのゲームセンターはプリントシール機に並ぶ女子学生がたくさん。ハロウィーンの記念?娘はあんなのできなかったな~。妙に冷めてるし障害のせいじゃなくて私の考え方が移っちゃったのかも?

今時の女子の楽しみ方も経験してほしかったけどないものねだりですかね。あのノリをし続けなければいけないのは女子学生たちも結構、疲れるんじゃないかと思ってしまう。そんなことないのが若者か?(笑)

 

発達障害はニューロダイバーシティ

今日は人権学習で発達障害について幼稚園の保護者さんと勉強。講師は特別支援教育などに携わってこられた元小学校の教員(最終は校長先生)

今回、初めてタイトルのニューロダイバシティーダイバーシティ)という考え方を教えていただいた。ダイバシティとは多様性と翻訳される言葉ではあるがよく利用されるのが性自認についてかもしれない。いわゆるLGBTQである。(SOGIという考え方も基本は似ているがこちらの方がより柔軟性がある内容に感じる)

やっとLGBTという言葉が知られるようになったがそれがさらにLGBTQもしくはSOGIという言葉を選ぶべきという流れになっている。それは別途お調べいただいくとして。

ニューロは脳の神経のニューロンから来ているのだろう。脳のニューロン同士のつながりで私たちは生命の維持をし、感情、感覚を得ているわけだけどここからここまでが正常なニューロンでこっから先は障害というのは切り分けることはできない。病気ならば左脳の言語をつかさどるところに脳梗塞ができたら言語障害が表出するとかその働きに直接関連することもあるがそれはニューロンとは違うものだ。言語訓練などのリハビリで他のニューロンがつながりあって脳の機能を補い機能を回復できることもある。(必ずしも機能回復するわけではない)

発達障害で見られる過集中をあげるとどこのニューロンの信号がここ途絶えたから障害だと言えばそれは生活に差し障るから障害であって集中して何かに取り組めることとは才能や個性でもあったりする。だからニューロダイバシティとは多様な脳の働きがありそれぞれの人がダイバシティな脳神経であること。わかりにくい?というか説明もしにくいけど自分の中ではとてもニューロダイバシティという言葉に納得した。

元教員だけあってHSCについても教えていただいた。ハイパーセンシティブチャイルドの略。とっても繊細な子ども。発達障害とは違うけれど発達障害が約6%HSCが3~4%近くといわれているそうで30人のクラスなら約10人の支援や配慮の必要な子どもがいる可能性があると言われているそうだ。ますます教員の力量が重視される。

それにやっと教育が対応してきたのがタブレットの配布である。計算や読み書きの障がいにはタブレット学習で補えることがある。文字を書けなくても入力できれば事足りる世の中になってきたのでそれを寛容に受け止める方向性がやっと見えてきたのではないか。世間の「~でなければならない」は少しずつ解消されるべきだろう。

また、発達障害の方を積極的に雇用する企業も少しずつだが増えてきていてあえて発達障害のある方を募集し、どういう特性があり苦手なことを踏まえたうえで得意な分野をもつ人を採用しその力を生かしているそうだ。

娘はそういうのがみつけれないのだけど‥そういう仕事に出会えれば楽しいだろうな。

どうなるグループホーム

グループホームを再編する動きが出ているという。障害が軽度中度なら3年ほどで追い出される?重度なら大規模施設のような入所扱いに?

やまゆり園の事件から大規模施設の役割も考え直されていいるのかと思ったらさらに重度障害者を隔離するつもり?地域で暮らすって何?

中軽度だったら誰でも一人暮らしできるのか?それだけの支援をしてくれるのか?適度に見守りがある環境が欲しい人のことは考えらていない。

高齢者も地域で暮らすと言いながら十分な介護が在宅で受けられないからホームに入っている。弱者は生きる場所も死ぬ場所も選べないというのか。いずれはみんな高齢者になるのにな。

私が仕事に行っている超高級老人ホームでも家に帰りたいという人がいる。悲惨な扱いを受けるから帰りたいのではないのだ。ウエッジウッドでお茶が飲めるような施設だけど高級であろうが、どんなに居心地がよさそうな部屋であろうとお金の心配がなくてもやっぱり家がいいのだ。在宅で介護してもらえるならそれが一番いいのだろう。しかし、それが叶わない事情は各家庭にあるのだ。

ある程度はみな我慢しなければならないのかもしれないけど自分が選んだ場所を国に奪われるのは違うと思う。障害者の意見を聞かずにグループホームを再編しようとしているらしい。どんなに厄介者扱いなんだろう。この国の優生思想はまだ根強い。

今週のお題「読書の秋」今まで読んだ本

私が過去読んできたのは発達障害、子育て、コーチング、心理学など。子どもが生まれてから読んだのはその手が多い。娯楽としては東野圭吾さんは読みやすいミステリーだし医療ものも好きでバチスタのシリーズも好き。子育てハッピーアドバイスシリーズは障害があるなしに関わらず子育てに悩む親に光をともしてくれるような名著だと思う。

↑ 輝ける子の副題で「100メートル10秒で走れといわれてもいくら努力しても走れない子がいるじゃんと」書いてあるのに妙に納得する。そんなことわかっているのに子育てに関しては100メートル10秒が当たり前だと親は思っちゃうんだな。古い本なんだけど副題が印象的だった一冊。

なぜかどうしても読めないのがハリーポッターシリーズと村上春樹さんの本。大人気なので読んでみようと頑張ったけど頭に入らない。想像力がないのかな。

今は、もっぱら健康情報に飢えているので、いかに健康に生きてどう死ぬか。ということに興味あり。よく生きることから人生を終えるまでを人生の半分を通過して考えるようになった。仕事で老人ホームに行っているので患者さんとのお別れはほとんどが死なのだ。

同僚同士で話題になるのは認知症では介護者が手をやく嫌われるボケと誰からも好かれるボケ方があって自分はどっちになるんだろうと。好かれるボケ方ならいいな~って。認知以前のお人柄も気になる私達です。

情報弱者になる人ならない人

今日はぜんち共済さんの「親も子も幸せになる発達障害に課題がある子の育て方」のウェブサイトセミナーを見た。立石美津子さんが講師だ。

立石さんの息子さんとうちの娘は同じ歳で当時の発達障害の診断の難しさなど状況がほぼ一緒で同意することも多かった。立石さんは教育者なので教育からみた面と発達障害の子をもつ親の両方の心情が語られた。

発達障害の場合IQによって療育手帳じゃなくて精神じゃないと手帳をとれない地域があるとか子どもさんが小さい方には参考になることが多かったと思う。進路選びから成人後から親なきあとまでどうするかという考え方も聞いた。

私はこういう情報を探すのが好きだ。だから福祉サービスも自分から言わないと国は何もしてくれないと知っていた。でもそれを知らない人がたくさんいるのも知っている。

以前、私の友人が20年も前から障害手帳を持っていたのに障害年金の手続きをしていなかったことを書いたことがある。昨日、どうして年金手続きしなかったのかを聞いたが本人知らなかった上に目や耳という情報源の障がいなので知ることができなかった。そして親や夫がプライドか、めんどくさいと思ったのか知らなかったのかどうかもわからないが手続きをしなかったようだ。本人がわかっていても手続きが難しい状況だったのは間違いなさそうだ。

私は手帳をもらったらとっくに成人していたので年金でしょうと思うのだがそういう考えに到らなかったらしい。

情報というと自分の子どもの進路選びもそうだ。娘は小学校は通常学級から入れたにも関わらず4年生から特別支援学級に変わった。知的にはギリギリかもしれないけど家で勉強をフォローすれば十分ついていけていたし4年生なりの学習をさせてもらいたかったが特別支援学級ではそれがかなわなかったということがある。立石さんのお子さんは特別支援学校から地域の特別支援学級に転籍したそうだ。娘はダウンし立石さんはアップしたことになる。支援学級に入ると通常には戻れないとよく言われるが場合によっては変わることができるし通常が必ずしもその子に会っているとは言えない。

娘の進路は私は想定していたのもあったけど満足いく対応ではなく迷い迷った。確かに通常学級にいると障がいのある子の親との交流がないので生の情報は入りにくかったと思う。

支援学級では支援計画をたてることになっているがそれも聞かないと見せてくれなかった。たぶん言わなければ作っていなかった。それは私が計画があるという情報を得ていたからで他の支援学級の児童の親が知っていたかはわからない。障害がある子は別枠に入れて通常学級の運営に邪魔にならないようにしたいというのが学校の本音かな?とも疑ったものだ。

介護は情報戦と言われている。障害も同じくで福祉サービスが必要な人には情報が大切なのだ。国や市町村は情報を知りたいと言った人にしか公開してくれない。情報に貪欲になるしかないのだ。この国は生きにくい。

↑ 立石さんの著書で興味深いと思ったものと息子さんに関する本です。